三千円を払うべきか、払わざるべきか?

 私は今年本厄年である。昔からの言い伝えみたいなものだから、多分男女の身体的な変化(広い意味での老化に伴う体調の変化)がその辺の年齢に当たり、体調を崩しやすいという経験的な根拠があるのだろう。また精神的にも変化が出てくる年代でもあるようだ。何でも、前厄、本厄、後厄と厄が三年間もまとわりつくらしい。しかも男の数え四十二歳は大厄と言われ大が付く相当なものらしい。本厄だから今年は当たらず触らずおとなしく余生(おっと人生)を送ろうと思ってる。

 私は人間が未熟で神様を信じられないので、今のところ厄払いには行っていない。行った方がいいのかなぁ?と腹の中では思ったりするのだが、神様を信じていないのにノコノコ三千円持って厄払いに行ったら、神様が”おまえは俺を信じていないんだべや!節操もない!言ってることとやってることが矛盾してるべや!よくもノコノコと来たもんだ!罰(ばち)だ!罰を下してやる!”ってな具合になってしまい、神は神でも疫病神に取り憑かれてしまってはこれまたえらいことである。さわらぬ神に祟りなしという諺もあるので大人しくしていようと覚悟を決めた。

 厄払いに行っても行かなくても、分かりやすく言うと三千円払っても払わなくても病気になる時はなるし、死ぬ時は死ぬ、生きられるのならば生きるものだと思っている。

 神様がいるならもう少し世の中を何とかしてほしい。皆さんもそうは思いませんか?許し難い罪を犯した連中が病気もしないでのほほんと罪の意識もなくタダ飯を喰らい生かされていたり、罪のないい子供や、社会に何の迷惑もかけないで立派に生きている人達が病気で苦しんでいたり、早死にしてしまったり、果てには殺されてしまったり、今の世の中そんな理不尽な出来事があまりにも多すぎる。

 神を信ずるが故に殺し合いをしているイスラエル人とパレスチナ人、報道では何の罪もない子供まで撃ち殺されるという見るに耐えない許し難い冒涜を犯しているのは神様!あなたではないですか!もしもエルサレムという問題の地にあなたがいなければ、あのような冒涜を受け命を奪われたあの少年は今も親の愛情を受けながら穏やかに生きていられたのでしょう。

 神様、あなたはそういうところを上手くコントロールしてはくれないのでしょうか?それともあなた方にも私と同じ未熟者の神様がいるのでしょうか?。神様を信じられる人、凡人の私にでも納得できるように説明してはくれませんか!。多分未熟者には未熟な神様しか宿らないということなのでしょうが・・。

 これ以上神を冒涜すると罰が下りそうなのでこの件は私とこの愚作を読んで下さった読者の皆様との内緒話ということにして下さい。くれぐれも内緒です!神様にでも知れたら大変です。たかだか三千円を出すか出さないかという話が随分大袈裟な話しになってしまいました。
 ところで、この私の愚作を読まれた方は、もし私が運悪く”悪いできもの”でもできて命が危うくなってしまったとか交通事故にでも遭って死んでしまった時に、”やっぱりあいつは厄払いに行かなかったみたいだし、神様の悪口を言って罰が当たったんだ!”と心の中で思うのでしょう。いや絶対にそう思い、皆さんは早々と三千円を持って厄払いに行くことになると思います。くわばら、くわばら・・・・

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